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号泣しました。「大地の子」も号泣しました。伯父は北満からシベリアに抑留され、クラスノヤルスクで1921年6月15日に亡くなり、2年前に母の位牌を持って1人でお参りに行ってきました。母のすぐ上の兄である伯父は、市を見下ろすタルガシノの丘に今も眠っています。戦後昭和24年生まれの私にも、悲しい出来事です。でも人知れずの苦労と壮絶な人生であった城戸幹さん、良い家族をつくれて本当に良かったですね。
Comment by 和雄 @ 2009/08/13 3:30 PM
和雄さんも身近な人が「あの戦争」を間近に体験されているのですね。戦争がどれだけ多くの人に影響を及ぼしたかを想像すると、つくづく戦争というのはむごいものだと思いますね。
Comment by arai @ 2009/08/13 6:50 PM
戦争は本当にむごいものだと思います。若い頃Philippines共和国Bukidnon州政府に2年間勤めて居ました。かつて両角業作中将が指揮する第8方面軍の35師団があった町です。2年間お世話になったフィリピン人の父親は、日本兵に軍刀で切られた大きな傷痕が首にありました。私が借家を泥棒にやられたり、ピストル強盗にやられたりした時、その人は私の前に立ち、「フィリピン人は君になんて悪い事をするんだ!。さあー、俺を殴ってくれ」、と言ったんです。その人の傷と比べれば、私の傷なんて・・・。2年間、第二次大戦に関することは何度も経験しました。戦後生まれの私がです。
Comment by 和雄 @ 2009/08/23 11:28 AM
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